髪を結ったまま入浴

幕末から明治にかけて来日した外国人にとって、西洋とは異なる日本の風俗や風習は驚きだったようです。もちろんその中に髪形や着物などの日本独自の風俗も含まれます。

写真(*)は入浴する女性です。外国人カメラマンによる撮影で、モデルはおそらく芸者だと思われます。幕末から明治にかけてやってきた外国人のなかには絵画や写真で日本の風景や人物を残しています。写真はその中のひとつです。

写真は絵画より写実性は高く、史料としての信頼性は高い。ですが、外国人カメラマンが写した写真には過剰に演出された作品が見受けられます。観光土産目的で撮影されたものが多く、外国人受けを狙っての演出かと思われます。

紹介した写真も過剰演出された写真の一つと思っていました。それは入浴に際して髪を結ったままだからです。ところが、入浴中の風景を描いた浮世絵などを絵画を見ると、女性は髪を結ったままです。丸髷、島田などいろいろな髷がありますが、髪を解いた姿の女性は見当たりません。

21世紀のいま、入浴時に髪を洗う人は多い。入浴のたびに洗うかは別にしても、シャンプーは入浴時に行なうのが習慣になっています。
江戸時代は、入浴と洗髪は別に行われていました。男性の場合は、洗い場で髷を解いてザンバラ髪にしている絵もあり、この限りではありませんが、女性に関しては洗髪は行われていません。

石鹸が普及するのは明治中期以降なので、いまのようなシャンプーは行われなかったようです。月に1回か2回ほど髪を解いて梳き櫛で髪を梳いて、髪に付着した汚れを落としていました。髪を結うには鬢付け油で固めますが、この油を落とすのは水や米のとぎ汁、灰を澄ませた水では無理です。洗髪の習慣は明治中期以降になってからです。庶民に広がったのは明治後期、大正時代になってからと思われます。

ところで、髪結の話題からはずれますが、幕末、明治初期の日本はハダカ天国でした。
ハインリッヒ・シュリーマンさんがあのトロイ遺跡を発見する前、慶応元年(1865)に日本を訪れたときの旅行記を残しています。滞在期間は1月ほどでしたが、彼が湯屋の前を通りかかったときのことを『シュリーマン旅行記 清国・日本』に次のように記述しています。

「湯屋の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目撃したとき、私はこう叫んだものである。『なんと清らかな素朴さだろう!』」
シュリーマンさんは、自身の時計に付随した珊瑚礁の飾りを見るために湯屋にいた全裸の男女が集まったと理解したようですが、珊瑚の飾りより外国人(当時は唐人と呼んでました)を見るために集まったのでしょう。

明治11年(1878)に日本を訪れ、『日本奥地紀行』を書いたイザベラ・バードさんが温泉旅館に宿泊した際のこと、バードさんの部屋の前を温泉に入るために着物(湯着)を持った全裸の男女がぞろぞろ通り、非常に驚きます。バードさん同様、この一文を読んだ筆者も面食らいました。

当時のハダカ天国ぶりに外国人は驚愕し多くの記述が残されています。
庭先での沐浴、水浴び、通りから丸見えの湯屋の洗い場、湯屋から裸で自宅に帰る人たち、そして男女の混浴などなど枚挙に暇ありません。
こんな情況に苦言を述べたのは、英国貴族で英国公使館員として来日したミットフォードさんです。それに答えた日本人の高官は逆に西洋人の好色ぶりに驚いたといいます。

こういうのをカルチャーショックというのでしょうか、文化が違います。
裸体そのものに西洋人のよな羞恥心をいだきません。自然体でいられるから男女混浴もあるわけです
幕末・明治期の日本人はハダカが日常見られる風景でした。そこには性的な羞恥心は感じられません。

とはいうものの江戸後期、幕府はたびたび混浴禁止の触れを出しています。たびたび出しているということは守られていない、ということです。女髪結の禁令と同じです。
江戸の湯屋は柘榴口で仕切られた熱い湯を張った部屋で身体を温めていました。温度を保つために、出入り口は狭い石榴口だけで、中は薄暗い。湯を沸かす木材は値段が高く、湯は貴重です。湯の汚れを目立たたくするために暗くしたという説もあるほどですが、そんな薄暗い中での男女混浴ではひょっとしたら男女の偶発的な間違いが起こるかもしれない、と想像するのは、ゲスの勘ぐりといえそうです。

江戸時代には多くの見世物小屋があり、さまざまな見世物が展示されていましたが、史料を見る限り、いまのストリップショーのような興行は見当たりません。ハダカは日常的に見慣れていて見世物にする価値がなかったからでしょう。

いまの日本人は幕末、明治期に訪れた外国人に近い倫理観、感性を持っています。明治政府の混浴の禁止によって徐々にハダカが見慣れた風景から消えていき、ハダカ=羞恥心を抱くようになっただと思います。
とはいうものの、いまでも外国人は大浴場に入るのは抵抗がある人が多いと思いますが、日本人は好んで入る人が多いのをみると、21世紀のいまの日本人も紛れなく江戸時代の人たちの遺伝子を受け継いでいるようです。

ところで話は掲載した写真に戻りますが、髪結い姿のハダカの女性、頭部が大き過ぎてバランスが悪い。この写真以外にも何点か同様の写真を見ましたが、同様の印象を受けます。
ハダカの日本人女性を見た外国人は「細長い洋梨の姿をした黄色い物体でしかない」とざんざんな評価です。これを言ったのは明治18年に日本を訪れた仏国の作家、ピエル・ロチさんです。

日本髪は直毛をいかして作るボリュームのある髪形です。大きいので、着物・帯とセットでないと不均衡に見えてしまいます。
垂髪からタボ(ツト)を出すことによって、背面に空間ができるのになり、それまでの細帯による前結びから、幅広の後ろ帯に移行していったのをみても、日本髪と着物・帯には密接な関係があります。

髷・タボ・襟足、そして創意工夫された各種の帯結び、ある意味、日本女性の和装姿は背面の美の追求といえます。

丘圭・著

(*)写真説明:スティルフィード撮影といわれる写真。明治初期(2,3年?)のころ。左の女性は潰し島田のようです。中央は根下り銀杏のようにもみえますが、髷先が上に出ているようにもみえるので天神髷かもしれません。