理容外科医の誕生

欧州では理容と簡単な外科的処置をする理容外科医といわれる職業が13世紀から18世紀にかけて存在しました。

理容外科医が誕生したのは1215年です。日本では鎌倉幕府が誕生して間もないころです。
1215年、ローマのラテラノ宮殿で開かれた、カトリック教会の代表者らによるラテラノ公会議での議決で理容外科医が誕生しました。

それまでは聖職者は信者に対し、理容外科医の身体的なケアと、精神的な心のケアを同時に行っていたのですが、この会議で身体のケアと心のケアを分離し、聖職者は心のケアに専念することを決めたのでした。これにより理容外科医が誕生しました。

この会議を招集したのはではインノケンティウス3世という、中世カトリック教会の教皇権を隆盛させた教皇です。欧州全域から司教、修道院長ら1500人以上が出席して、71条に及ぶ決議をしました。その中の一つが聖職者の身体ケアと心のケアの分離でした。

1215年に聖職から分離して理容外科医が誕生したものの、当初は少数でした。それが徐々に増えていき、誕生から2世紀半ほど経った1462年に英国で理容外科医のギルドが認められるまでになりました。理容外科医が増えその社会的な価値が評価されたからです。時のイングランド国王エドワード4世は理容外科医のギルドを認め、職業を保護するためにロンドン市内での独占権を与えました。

ところで理容外科医の仕事は、ひげ剃りや調髪の理容の仕事と簡単な外科的処置です。その外科的処置とは、ヒルによる瀉血や静脈の切開による瀉血、腫れ物の除去、抜歯などです。

1540年になると、外科医を専業とする外科医協会と理容外科医は統合され、その後2世紀にわたり同じギルドのなかで活動します。外科専門の医者は当時の先端知識を学び、複雑な外科処置をこなすようになりますが、一方の理容外科医は人体についての知識を深めることはなく、両者は1745年に外科医組合と理容師組合に分裂。外科医組合は王立外科医協会に名称は変わったものの、二つの組織は現在に至っています。

1745年に理容師組合になったことで、理容師が外科的処置をしなくなったかというとそんなことはなく、簡単な処置はその後も行っていました。そんな歴史的な背景があってか、医療と美容の境界線上の分野、イボ取り、脱毛、タトゥーなどの処置についてはいまだに両業界で綱引きが行われている国があります。

丘圭・著

参考資料/『HAIR A Human History』by Kurt Stenn(Pathology&Dermatology Professor of Yale University)