黒人理容師から白人理容師に

農園主がオーナーになって有能な黒人理容師を使って始まった米国の理容店ですが、その変遷は米国の歴史と無関係ではありません。

独立戦争(1783年)で英国から独立、さらに米英戦争(1812~14)を経て英国から完全に自立した米国は領土を広げ、19世紀中頃には西海岸に到達します。また、合衆国軍(北軍)と連合国軍(南軍)で戦った南北戦争(1861~65)で北軍が勝利しますが、リンカーン大統領は奴隷解放を宣言(1863)、またホームステッド法(1862、開拓民に無償で土地を提供)を発します。

ホームステッド法によって、ヨーロッパ大陸から多くの移民が渡米したことで、米国は急速に経済発展します。移民の中には多くの理容師がいました。奴隷から開放された黒人ですが、人種的な差別を受けることになります。
白人理容師がやってきたことで、白人男性はヨーロッパからやってきた理容師が経営する理容店の客になり、黒人理容師は白人客を失います。

黒人理容師は黒人を客にするようになります。黒人理容師の多くは奴隷解放が宣言される前からすでに市民権を得ていて、黒人のなかでは富裕層です。彼らの営む理容店は黒人達の集まるコミュニティサロンの役目を果たすようになり、客は世間話や政治談義などをします。そんな中から、黒人霊歌や庶民的な民謡などを歌うようになり、それがバーバーショップカルテットといわれるアカペラの男性四重唱になった、といわれています。

理容店が客同士のコミュニティサロンになるのは、日本の浮世床にも通じます。そこで合唱をしたというのは米国ならではの文化といえます。
バーバーショップカルテット、21世紀のいまも米国で受けつがれています。

丘圭・著