月代は、毛抜きで?

先日、テレビのバラエティ番組(*)を見ていたら、某一流国立大学の歴史学の先生が、「月代は毛抜きで抜いていた」と話していた。鎌倉時代の武士が烏帽子を常日頃、装着していたことの説明の流れでの話で、鎌倉時代の武士をさしていたのだろうが、本当かな?と思った。

武士が月代をし始めたのは平安時代末、源平の頃である。
一方、剃刀は仏教とともに日本に伝播し、すでに国内の僧侶は頭を剃っていた。剃刀は、源平、鎌倉時代には広く利用されていたと考えるのが普通だろう。毛抜きで髪を数本抜く程度ならいいが、前頭部から頭頂部までの広範囲を抜くとなると、相当な苦行になる。

ただ、毛抜きでの脱毛は江戸時代になっても行われており、江戸初期に現れたかぶき者集団のなかには、毛抜きで大月代をつくった例が記載された著作が残されている。当時、特異な行為だったから叙述されたのだと思う。

また、女性の日本髪は生え際の後れ毛は毛抜きで抜いて綺麗なラインに整えたことが伝わる。これは日本髪を結った女髪結が剃刀を使用しなかったためだ。

江戸時代、月代は日本剃刀で剃ってつくっていたし、鎌倉時代も武士の多くは剃刀を使っていたとみるのが常識的な判断で、毛抜きを使っていたとしても例外とみるべきだろう。

番組で言っていた、鎌倉時代の武士は烏帽子を常日頃被っていた、というのは当時の絵巻物などを見ての話だろうが、烏帽子はもともと公家の装束で、平安時代の公家は日夜、烏帽子を装着した。外出時、自分の影を見た公家が烏帽子を被っていないのを知って、慌てて自宅に戻ったという叙述もある。常日頃、寝る間も烏帽子を被るのは、もともとは公家の作法である。それが武士の草創期である平安時代末から鎌倉時代、公家との関係が濃厚だった武士に伝わったものである。
お笑いのバラエティ番組とはいえ、このくらいの説明はしてほしかった。

*2015年9月26日、NTV「世界一受けたい授業」(東京ローカル)

丘圭・著