床屋が登場するのは江戸時代

前回、職人歌合などの絵画史料をもとに時代による烏帽子の有無について叙述しましたが、これらの絵画史料には当時の職人や商売人などが描かれています。

『東北院職人歌合』(『建保職人歌合』『建保二年東北院職人歌』ともいう)や『三十二番職人歌合』『七十一番職人歌合』は江戸時代以前に成立しています。『東北院職人歌合』は鎌倉時代後期、『三十二番職人歌合』は室町時代後期、『七十一番職人歌合』は戦国時代の成立といわれています。
これらの史料には多様な職人が描かれていますが、床屋、髪結は登場しません。

江戸時代の『今様職人百人一首』(亨保、近藤清春・画)、『職人尽絵詞』(『近世職人尽絵詞』ともいう)を見ると、この二つの絵画史料には髪結床が描かれています。

『東北院職人歌合』『三十二番職人歌合』『七十一番職人歌合』に描かれた職人が当時のすべての職業を描いているわけではありません。当時の代表的な職業に髪結床、床屋が選ばれていないだけかもしれません。
これだけでは断定はできませんが、やはり髪結床は江戸時代に一般化して広く認知される存在になった、とするのが有力です。

ところで、理容業界では『一銭職由来書』(亨保)をもとに、鎌倉時代の藤原采女亮政之を髪結・理容の祖として祀っています。歴史家の江馬務さんは『一銭職由来書』を「取るに足らぬもも」と断じていますが、史実は江馬さんの通りとしても、業界のアイデンティとして藤原采女亮政之さんを祀るのは意味のあることです。

丘圭・著

掲出した絵は、「今様職人尽百人一首」より『髪結』。「とこぞこしあまた諸人ふうぞくのみたてて結ひし髪かたちなり」と詠まれています(国立国会図書館)