王朝絵巻 その裏に地獄絵図

『枕草子』、『源氏物語』などの作品は華やかな平安王朝絵巻が繰り広げられています。これは平安時代の文化であることは、まぎれもない事実です。

長い黒髪に華やかな十二単に身を包み、花や月を愛で、舟遊びをして毎日を過ごす。そんな華やかで豊かな生活をおくっていたのはごく限られた公家、貴族でしかありません。大多数を占める農民や市井の庶民は貧しい生活をおくっていました。

清少納言が「桜の、いみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを…」(『枕草子』二十一段)と桜花を愛でていたころ、その年はひどい飢饉で、宮廷の塀ひとつ隔てた大路、小路では飢えた細民が餓死者の脇に横たわるという地獄絵図が繰り広げられていたのです。

平安王朝のころの人口は約600万人程度です(諸説あります)。公家貴族はせいぜい1,2%程度、多く見積もっても3%ほど、18万人はすこし過大です。大半は貧しい細民です。

当時、すでに細民も烏帽子を被る風習になっていたと思われますが、飢饉の非常時では身なりにはかまっていられないはずです。飢饉のほかにも人が集まる都では疫病が蔓延することが度々あります。優雅な貴族の王朝絵巻のすぐそばで貧しい人々の地獄絵図があったのが実際です。

しかも尾篭(びろう)な話で恐縮ですが、平安時代の公家、貴族の館にはトイレはありましたが、堀の脇の溝に流しただけです。その先がありません。平安の都は糞尿譚の世界でもあったわけです。糞尿まみれでは衛生状態はよくなく、結果伝染性の疫病が頻繁に流行ったのだと思います。

日本では、安土桃山時代には糞尿が肥料としての価値が認められるようになります。京の都では角倉了以さんによって1611年に高瀬川が掘削されると、都の糞尿は高瀬舟で近隣の農地まで運び出されるようになり、糞尿譚の問題は解決します。しかし、西洋では農業の方法が違い肥料としての価値はなく、西洋の都市の糞尿譚は18世紀後半まで続きます。

幕末に来日した外国人が日本の清潔さに驚いたのは、糞尿処理もあったのかもしれません。

丘圭・著