婦人の断髪を禁止 違式詿違条例

断髪令が出されたのは明治4年で、この断髪令は文明開化の象徴的な存在になっていますが、江戸時代の風俗風習が改められたのは丁髷だけではありません。

江戸時代から続く様々な風習、風俗が改められています。結婚した女性のお歯黒の禁止も明治4年のことでした。
湯屋の混浴はこれより早く明治2年に『風俗矯正町触』のなかで、売春の禁止についで、男女入込湯(混浴)が禁止されています。さらに春画なども禁止されています。

明治5年に『違式詿違条例』(いしきかいいじょうれい)が東京府で出されます。この『違式詿違条例』は風俗風習の取締り条例といったもので、それまでに出された条例を集約したようなものです。外国人の目を意識し開港地を中心に全国でそれぞれの条例が出されています。

『東京府下違式詿違条例』をみますと、第39条に「女性が断髪すること」を禁じています。原文では「婦人ニテ謂ワレナク断髪スル者」とあります。このほか、「他家内の果実などを採って食べること」(第34条)など、あたり前のことが羅列してありますが、風俗関係を抽出すると
第9条 春画などの販売
第11条 入墨をすること
第22条 裸体または肌衣など醜態
第25条 男女相撲、蛇使い
などがあります。
また、「往来での大小便の禁止」などもあります。

『違式詿違条例』は主に軽犯罪に対する条例で、東京府のものを最初に、明治10年の大阪府まで順次出されています。罰則もあり、「違式」の場合は「75銭以上150銭以下の罰金」、それより軽い「詿違」は「6銭2厘5毛以上12銭5厘以下の罰金」と規定されています。

この条例が出されて、即風俗が改まったかというと、断髪令同様、そんなことはありません。条例の中身も各地によって違い、また取締も地区によって力の入れようが違うので、いってみれば、まだら模様で日本の風俗風習は変わっていきました。

丁髷がほぼ洋髪になったのは明治20年ごろです。他の風俗風習もおおよそそのころまでには改まったといわれています。
身についた風俗風習はそう簡単には変えられません。20年ほどかけてようやく文明は開化した。

丘圭・著

参考資料:違式詿違条例など(国立国会図書館デジタルコレクション)。写真・緑線内は『違式詿違条例』の婦人の断髪を禁じた39条