『女髪結職取締請願書』

江戸時代、幕府から認められていなかった女髪結でしたが、明治になり公許されます。女性の職業が少ない時代です、公許されたことで、多くの女性が参入したものと思われます。

明治12年(1879)に東京府の女髪結が府に『女髪結職取締請願書』を提出しています。この請願書によると、東京府下に5千人の髪結職がいるとされています。
請願書の趣旨は、髪結職組合の設立と組合に加入しない髪結職の営業禁止を求めるものです。髪結を仕事にするには組合に入ることを条件にしたもので、職業規制です。
明治12年の東京府では髪結職が増えて過当競争が起こっていたことがうかがえます。

女髪結や髪結床に限ったことではありませんが、大工、左官、各種手工業の職人は、親方や師匠のもとで下働きをしながら技を覚え、師匠に認められて晴れて一人前の職人として独立します。徒弟制度です。見習い中はほぼ無給で仕事を覚え、一人前になって独立するとき、親方は何らかの手助けをします。徒弟制度は江戸時代から明治、戦前まで続く、日本の職業教育システムでした。

女髪結の師匠のもとに多くの見習いが集まり、独立していったのでしょう。あるいは手先の器用な素人が結髪の評判をとり独立したかもしれません。いづれにしても、明治12年には女髪結が多くなりすぎていたようです。女髪結が増えれば、髪結賃が値下がるのは、経済原則の基本です。
髪結賃の値下がりを防ぐために出されたのが『女髪結職取締請願書』だったといえます。

参考までに当時の人口を調べてみたら、日本の総人口は35百万人ほどです。明治17年(1884)の人口になりますが、東京府は115万人の人口です。115万人、そのうちおおよそ半分が女性だとすると60万人に対して女髪結が5千人。
いまの東京の人口は1400万人、その半分が女性だとすると約700万人(2019年)。経済センサスによると、都内の美容師数は7万人。1髪結(美容師)あたりの女性人口は明治12年は120人、21世紀のいまは100人の計算です。

この計算は、意味がありません。いまの女性の85%は美容店で髪を処理しているのに対し、明治の女性の7、8割は自家処理していたと思われます。またいまの美容師は女性客だけでなく男性客も施術しています。対人口比だけの比較は意味がありません。

過当競争は、理美容業界につきものです。昭和初期の理容業はやはり過当競争に悩まされていましたし、戦後も過当競争が続きます。そして21世紀のいま、美容サロン業界は過当競争です。

丘圭・著