理容は床屋、美容は髪結

床屋、髪結の名称は、時代とともに仕事の内容が変わり、名称も変わります。21世紀のいま、理容、美容と呼ばれていますが、もとをたどれば理容は床屋、美容は髪結に行き着きます。しかし、話は単純ではありません。

床屋は明治以降、理髪(理髪師・理髪所)になります。月代剃りや髪結の仕事から、明治維新の断髪令で刈り込み中心の西洋理髪の仕事に変容します。戦後、昭和22年の理容師法施行にともない理容(理容師・理容所)になります。公的には理容といいますが、いまでも床屋、散髪屋などの俗称で呼ばれることもあります。

髪結(女髪結)は、床屋より150年ほど遅れて江戸中期に登場しますが、明治になっても日本髪は続きます。むしろ江戸時代は幕府非公認の仕事でしたが、公許された明治になって盛んになった職業といえます。

理髪は男性客が対象でしたが、明治後期になると女性客相手に理髪や美顔術などを行う店が誕生します。当時、理容と呼んでいます。客の性別は違うのですが、仕事の内容は理髪に近い。理髪と理容、後の名称との関係からわかりにくい。

明治後期から大正期にはマルセルアイロン、昭和初期には電髪(電気パーマ)が開発され、女性客相手の店が増えます。理容のほかに美粧院、美髪院などと呼ばれています。
理髪から転業した人もいれば、髪結から転業した人もいます。技術を教える専門の女学校も設立され、起業する女性もいます。

当時、女性の社会進出が進み、事務員、教員、販売員、電話交換手などが人気でしたが、これに新しい技能である理容も注目されたのです。バスガイドもこのころ女性の職業として人気になります。

明治後期、大正、昭和初期は、髪結と理容が併存した時代です。明治後期は髪結が多数でしたが、じょじょにウエーブやパーマを行う理容が増えていきました。

美容(美容師、美容所)という言葉は、昭和22年に理容師法が施行されて、理容に対して美容という言葉が使用されます。前提としてこれまでの流れから理容は男性客、美容は女性客という暗黙の区分があったと思われます。

美容という言葉には女性相手の髪の仕事という意味があり、髪結も含まれます。戦争を境にして断髪する女性が増え、日本髪を結う女性は激減します。美容の業務には、なでつけ(日本髪、束髪などを作る)が含まれていますが、当時は美容のことをパーマ屋と呼ぶのが普通でした。

美容という言葉そのものは明治末には使われていたといいます。しかし一部であって、広く普及はしていなかったようです。やはり美容という言葉が一般化するのは戦後になってからです。

丘圭・著