西洋理髪は「横浜仕込み」

西洋理髪の発祥の地は横浜である。
開港にともない入港した外国船に髭剃りをするために乗船した小倉虎吉、松本定吉、竹原五郎吉ら多くの床屋が、西洋人の理髪師からその技術を習った。松本はエビシン(米国人)、ベレン(仏国人)らに西洋理髪を学んだ、という。
彼らは横浜で西洋理髪店を開業したが、小倉は断髪令の明治4年よりも2年前の明治2年に居留地(148番館、シナ屋敷)で開業し、西洋理髪の祖といわれる。

東京では、横浜より数年遅れて、「横浜仕込み」を掲げて西洋理髪を行う床屋が開業する。
明治7、8年頃には髷を結う男性は激減し、仕事に困った髪結床は「横浜仕込み」の店を覗いて、見よう見まねで技術を覚え、散髪を行うのだが、「刈り手はただ鋏をチョキチョキ音をさせるのが上手く見えるので、無暗矢鱈とチョキチョキやって、お客の耳をチョキと切ることが度々あるんです」と「幕末百話」(篠田鉱造・著)にある。耳をチョキっとやられてはお客はたまらない。

「幕末百話」には東京の理髪所として、呉服橋の床司(しょうじ)、銀座の原床、築地の徳次郎床、本町の川名床、海運橋の二階床の名をあげている。いづれも「横浜仕込み」が看板で、床司は25銭の料金だったという。貨幣価値は違うが江戸時代の28文にくらべると、えらく高い。
二階床(加藤虎吉)は明治4年の開業で、東京では一番古いとされる。この二階床は明治5年に赤青白のサインポールを出し、これが日本初のサインポールといわれる。

日本初の理髪所は小倉、東京初は加藤とされるが、幕末に仏式軍隊を採用した幕府軍の兵士の中にはすでにザンギリ頭の兵士がいたといわれる。小倉、加藤より前に西洋理髪が行われていた可能性は十分ある。

丘圭・著