明和から安永、天明の髪文化

エレキテルで有名な平賀源内さんがヘアブリーチをしたことを前回紹介しました(http://www.kamiyui.net/?p=857)。もしかしたら日本で最初に脱色した人かもしれません。ただし脱色したのは黒毛牛ですが。

上の絵は晩年のころの源内さんと思われます。源内さんがしている髷は、この時代、つまり明和(1764-1771)から安永(1772-1780)のころ流行った髷の一つです。文人らしく、総髪にしていますが、髷を高く結った文金風で、この文金風の髷が後に本多髷に変化します。源内さんの髷は、通人風の文金、あるいはべそ本多の髷を高くした、だまされた風ともいわれる髷です。

明和から安永ごろにかけて、男髷は辰松風、文金風、そして本多と、それまでの髷とは趣の違う髷が登場する一方、女髷も大きく変わりました。結び島田、奴島田、取り上げ島田、島田兵庫、両輪、笄髷、片笄、かせ髪、竹の節などなど。
部位的には、かもめづと、合わせダボ、桔梗鬢、灯籠鬢、雀鬢、勝山鬢、くり鬢など多種のデザインが現れました。
この背景には、専門職としての女髪結が誕生したのと、髪を結う際に使う、各種タボさし、鬢さしなどの小道具が開発され普及したことがあります。主に遊女らが結ったこれらの髷は素人の手には負えません。セルフでできる髷ではなくなりました。

また時代背景として、この時代、多くの商人や豪農が富を手にしたこともあります。通人とか大通とよばれるおしゃれに金を惜しまない富裕層が登場し、こぞって遊郭に行って散財しました。彼らを呼び込むために、一見奇抜とも思える髪が登場したのかもしれません。

日本髪は文化文政のころから明治時代にかけて花開くのですが、明和から安永、さらに天明(1781-1788)のころにかけては、日本髪が花開く前の蕾の時代、準備段階ともいえます。江戸時代の文化は、元録文化と化政文化が知られていますが、こと髪型に限れば、明和から安永、天明にかけても一つの文化があったといえます。

丘圭・著