大戦前の理美容事情

明治後期に日本に輸入され大正時代に普及したマルセルアイロンは都市部の女性の髪型を変えましたが、男性の髪型にも間接的に影響を与えています。

円形のマルセルアイロンとは違いますが、アイロンコテは男性の理髪で整髪用に使われていて、このコテを使って、オールバックの髪型をする男性が現れました。しかも過度に加熱することで髪を赤くするのが一部ですが、流行りました。大正末のころです。

さらに昭和10年ごろになると、女性が電気パーマネントでつくるウエーブヘアを真似てパーマネントをする男性が現れます。昭和11年には男性客用の電気パーマネント機も開発されています。
電気パーマネント機は大正末に日本に輸入されましたが、ウエーブヘアが都市部の女性に行われるようになるのは、国産の電気パーマネントウエーブ機が広く販売されるようになった昭和10年ごろからです。
男性の髪は女性ほど長くないので、短い髪に対応した構造の機器だったと思われます。

そのころ流行った男性の髪型にリーゼントがあります。チックとポマードで仕上げていたのでしょうが、その前処理としてパーマネント処理をしていた可能性は高そうです。

こう書くと、オールバックやリーゼントの男性が町を闊歩していたかのようですが、実際はこの時期、刈り上げの7・3分けや、いまのブロースカット、さらに坊主頭などいろいろな髪型を男性はしています。オールバック、リーゼントはむしろ少数派で、都市部のオシャレに敏感な一部の男性がしていた程度です。

昭和12年(1937)、日華事変が起こると、世の中は戦時色が強くなります。同年、日独伊防共協定が結ばれると、翌年には防共型なる髪型が登場します。昭和14年には、男子学生の長髪、パーマネントの廃止が国の機関によって提案され、女性のパーマネントは消滅の道をたどり、男性は大人も子供の丸刈り全盛の時代を迎えます。

昭和17年には理髪業界の団体が大政翼賛会と称する3つの髪型を提案します。戦時体制を踏まえてのものですが、背景には業界の存続を期待していたと思われます。
しかし翌年には男子理容師の就業禁止が決まり、40才以下の男子理容師は軍需工場などに動員され、終戦を迎えます。

女性のウエーブヘア、男性のリーゼント、オールバック、戦争前の夜空に上がった小さめな花火のようでもあります。

丘圭・著