もとは大陸に行き着く日本髪

日本には日本独自の文化があります。その多くはもとをたどれば、大陸から伝来したものです。稲作、仏教、儒学、漢方、陶磁器、三味線、算盤、衣服、建築などなど数えればきりがありません。

大陸から直接のものもありますし、朝鮮半島経由のものもあります。日本に伝来して、日本の風土、日本人の生活に相応しいものにしてきました。

江戸時代の丁髷、日本髪ももとをたどれば大陸に行き着きます。冠下の髻といわれる、天頂部に10センチぐらいに結んだ髷が変化したのが丁髷です。男の丁髷がさらに変化したのが女の日本髪です。

冠下の髻は、奈良時代に伝来した律令の衣冠束帯に由来します。
冠のコジといわれる平板な筒状の中に収められたのが冠下の髻です。コジに固定することで、冠を頭部に固定する役割を果たしていました。

冠や烏帽子の装着は、戦国時代末期まで男子の風俗として定着し、頭部を露出することは男子にとって恥とされていました。その風習が戦国時代末期に廃れ、露頂するようになります。また当時は頭頂部を月代にする習わしが広まっていました。月代は合戦の際、兜で頭部が蒸せるのを避けるための処理から広まった風習です。

冠下の髷が直上だったのに対し、当初は斜め後方に、あるいは髻の位置をやや下の天頂下部にとった髷が多くみられます。元結は何重にも巻いていましたが、二重、三重ぐらいに巻いて髷先の毛束を二つに曲げて折って前方に出すものが登場します。これが丁髷です。

男髷をまねて男装し歌舞したといわれる出雲のお国や遊女らが現れ、後の島田髷、丸髷の日本髪へと発展します。それまでの女性は垂髪が基本でした。垂髪は平安時代から続く日本女性の髪型で、硬くて直毛な日本人にとって最適な髪型といえます。

江戸時代中期から後期、さらに明治時代から大正へと日本髪はデザインを変えながら、日本人女性の髪型文化として定着します。その背景には、硬い直毛を処理できる鬢付け油や、髪型を形成するのに必要なタボさしや鬢さし、小枕などの小物類が開発されたことがあります。

鬢付け油は、木蝋、松脂、植物油を材料にし、調合具合によって粘度を調節して使用します。櫛で形付けた髪を固定し、髪に艶を与えます。
鬢さしなどさしものは針金や竹ひご、クジラの髭を使います。櫛はつげの木やべっ甲(タイマイ)を使います。これらはおもに国内で入手でき、加工する技術がありました。これらの材料、道具を用いて独特の髪型を創作しました。

髪文化に限らず、他の大陸伝来の文化、制度、製品なども日本の風土や日本人の気質に合わせて日本独自のものにしつつ発展していったものと思われます。
江戸時代に興隆をみた髪文化ですが、男子の髷は明治維新の洋風化によって、女子の日本髪も終戦後には見られなくなってしまいました。いまとなっては、お歯黒や眉剃りと同様、過去の風俗の一つです。

丘圭・著