日本剃刀と日本刀

日本剃刀(日本人の祖父が持っている日本剃刀として海外の掲示板で話題になった剃刀)
日本剃刀(日本人の祖父が持っている日本剃刀として海外の掲示板で話題になった剃刀)

月代や髭を剃る剃刀は、床屋の必需品である。
剃刀は仏教とともに6世紀ごろ伝来したといわれるが、剃刀が広く使われるようになったのは江戸時代になってからとされる。

剃刀の普及は、日本刀と関係がある。
江戸時代に剃刀が普及する一因になったのは、戦国時代が終わり、刀狩りによって日本刀の需要が減ったため、刀鍛冶が剃刀などを製造するようになったことがあげられる。もちろん江戸時代、男子の風俗として月代が普及したこととも関係するが、剃刀と月代は相まって江戸時代に定着した。

平和が続いた江戸時代、日本刀は本来の目的の武具としてよりは、装飾的、儀礼的なものが求められるようになる一方で、新刀といわれる切れ味の鋭い日本刀も作られている。熱して鍛錬した鋼を水に入れて急冷させ不純物を取り除く。そんな良質な地鉄から作る日本刀である。安土桃山時代の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)が新刀鍛冶の祖とされるが、埋忠は剃刀も作っている。

武士が多く住む江戸では、死罪の死体相手に試し斬りが行われたこともあり、優れた日本刀作りが継承された。
幕末になり世の中が騒擾になってくると、切れ味の鋭い日本刀が再び求められるようになる。この時代の日本刀を新新刀と日本刀史ではいう。これらは主に江戸近郊で作られている。

明治維新後、帯刀禁止、廃刀令によって刀鍛冶の需要がなくなると、刀鍛冶の多くは鋏などの民生品の刃物や髪飾りなどの装飾品の製造に職を求めていく。西洋理髪は横浜を発祥の地とするが、レーザーや理髪鋏の製造に移行した関東の刀鍛冶は少なくなかったはずだ。

その一方、上方の大阪や近畿では、江戸時代、さらには明治になっても剃刀を作り続けた剃刀鍛冶がいた。第二次世界大戦後、大阪を中心に日本剃刀を使う理容師が多くいたのは、その証左といえるだろう。
いまだに関西の古老のなかには日本剃刀の柔らかい剃り味を懐かしむ人がいるが、残念ながら剃刀を研ぐのに最適な本山砥が枯渇し、日本剃刀の絶妙な切れ味は失われてしまった。

日本剃刀はいまでも僅かに作られていて、日本剃刀でシェービングをする理容店は2015年現在、数軒数える。

丘圭・著