パーマネントはやめましょう

戦前、パーマネントが敵国のアメリカの技術であることから、パーマネントへの排撃運動がおこりましたが、実のところは、、。

昭和12年ごろに流行ったのが、
パーマネントはやめましょう。
パーマネントに火がついて、みるみるうちに禿げあたま。
ああおそろしい、おそろしい
という歌です。

どういう節回しかわかりませんが、子どもたちが美容院の前で歌って、囃し立てたといいます。

大正の末に日本にはいってきた電気パーマネントですが、昭和4年当時、パーマネントウエーブ機は非常に高価でこの機械を設置した美容院は全国で6軒に過ぎませんでしたが、昭和9年に安価な国産機が製造されるようになり、全国に普及しはじめます。

昭和11年ごろにはパーマネント機でつくるウエーブヘアが人気になり、パーマネントをかけ、断髪・ウエーブ姿の女性が増えはじめます。この年には、男性用のパーマネント機も製造されています。

前述の歌は、この時点では国が指導したのではなく、日本髪の髪結さんの組合が音頭をとって、おこしたものです。パーマネントウエーブが普及すると、自分たちの客が減るのを懸念したからです。
髪結組合は、街頭でビラを配布したり、デモ行進したりして、パーマネントに対する一大反対運動を繰り広げ、その一つが「パーマネントはやめましょう」です。組合の役員が子供たちを動員して、美容院の店の前で嫌がらせをしたのです。

国がパーマネント廃止の方針を打ち出したのは、昭和14年になってからです。総理大臣が所管する「国民精神総動員委員会」が決めた「生活刷新案」に含まれています。パーマネントを行う美容院の組合は、敵性語であるパーマネントの呼称を電髪や淑髪などといいかえたり、国に軍用機を献納したりして、存続をはかります。しかし、電力需要の逼迫もあり、電気パーマネントは廃止され、これにかわって木炭やカイロを使っての代用パーマが細々と行われる時代に向かいます。

前述の歌の歌詞は、まったくの嘘かというと、そうではなく実際に何件かの事故があったといいます。当時のパーマネントウエーブ機は温度制御が不完全で、女性は熱さに耐えてパーマをかけていた、といいます。

丘圭・著