芝山美容学校

横浜に「日の出軒」を開業した芝山兼太郎さんが、鶴見の生麦に「芝山美容学校」を開校したのは大正14年(1925)のことです。

シバヤマ美容室のホームページによると、「本校は理美容学校に従事し又は従事せんとする者に必須なる知識技術を授け、併せて国民道徳の涵養につとむるを以って目的とす」という主旨のために設立されたものです。」(2020年5月26日)とあります。

明治の末には理髪の学校が開校しており、その後も理髪、美容、整容などの学校が何校か開校しています。「芝山美容学校」は、理美容学校の教員、もしくは教員を目指す人を対象にした学校だったようです。

同校で学んだ吉田實さん(国際理容美容専門学校理事長)によると、月に1回ほど通学して、マッサージ(美顔術)を勉強したといいます。すでに芝山さんの美顔術は理髪の業界でも有名で、東京から講師クラスの人が連れ立って勉強しにいったといいます。
昭和3,4年のころのことで、すでに芝山さんは逝去していて、芝山さんのお弟子さんから教授されたそうです。

月に1回程度の授業なら学校というより、講習会に近いように思われますが、「芝山美容学校」は、各種学校令により認可を受けた学校でした。

なお、『学制百二十年史』(文部科学省、学制百二十年史編集委員会)の「専修学校制度の創設と発展」では、各種学校について、次のように記載しています。

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各種学校は、明治時代から存在していた。大正時代には学校数で約二、〇〇〇校、在学者数で約二〇万人を数えていた。当初は、一条学校になる前身的役割をもって設置されるものが多かったが、その後、一条学校において十分な対応がされていない分野の教育需要を満たすため、女子の職業教育の分野などにおいて各種学校が設置される例が増加し、社会的役割も大きくなっていった。

しかしながら、各種学校は、学校教育法では「学校教育に類する教育を行うものは各種学校とする」という定めがあるのみで、各種学校の制度の積極的な意義・目的についての明確な規定がない上、修業年限、教員資格、教育課程、入学資格等に関する定めがなく、各種の振興策、卒業生の処遇等について適切な措置を講ずることには困難な面があった。
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そして、同書では、「各種学校の実態に即した制度の改善を行うことが関係者の多年の要望であった」ことから、戦後の昭和42年以降、数次にわたり制度改正を試みた、とあります。結局改正されたのは昭和50年国会で、翌年、専修学校制度が施行されました。

丘圭・著

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