明治理髪学校

明治後期になると、理髪・美容・整容などを教授する学校が創立されます。明治43年に開校した明治理髪学校もその一つです。同年には大阪理髪学校も開校しています。

明治理髪学校は、国から各種学校の認可を受けた学校です。ただ明治時代の各種学校には設置基準がなく、修業年限、教員資格、教育課程、入学資格などはフリーでした。

昭和元年(1926)に明治理髪学校に入学した吉田實さん(国際理容美容学校理事長など歴任)は、自身の半世記『挑戦』で、同校のことを叙述しています。

明治理髪学校は、当時の神田区錦町(いまの千代田区神田美土代町)にあり、1階が理髪店で、2階の一部屋を学校として使用していました。学校へは市電で通学し、学割が利用できたそうです。

定員は50名ほど。吉田さんの入学時は44人が入学し、女子が2、3人、50歳過ぎの生徒もいたそうです。

学校ではカット、顔剃りなど理髪の技術はもちろん、道具使用法、理論、化粧品使用法、生理、衛生、道具・化粧品鑑定、さらには英語、修身、掃除、洗濯まで多岐にわたる科目を教授していました。戦後、理容師法に基づき養成施設の設置規定が定められましたが、教科目は大きくは違っていません。

校長は、榎本國蔵さんという人です。同校の創設者であり、『挑戦』によると、小柄な人で割烹着を着て教壇に立っていた、とあります。いろいろと工夫して授業したことが紹介されていますが、理髪師だったのが文面からわかります。1階の理髪店を経営していたのかもしれません。

教師陣には、天皇の理髪師として知られる大場秀吉さんら、当時一流といわれた理髪師らが名を連らねています。割烹着の校長と違い、教師陣はフロックコートに山高帽という出で立ちだったことが『挑戦』に記されています。

同校からは吉田さんをはじめ、理容業界を担う人材が巣立っています。

丘圭・著