冠下の髻、立髻、巻髻

髷、日本髪の大もとは、「冠下の髻」といわれる髻です。

清和天皇(在位:天安2年/858年-貞観18年/876年)や一条天皇(同:天元3年/980年-寛弘8年/1011年)の冠下の髻の図が紹介れることがありますが、図は清和天皇の絵を模したものです。

冠下の髻は冠をつける貴人がし、冠の巾子(コジ)に髻を収めました。太く、しっかりと硬く巻いた髻は冠を固定する役割もあります。

巻き方については、平安時代後期の有職故実書である『江家次第』(大江匡房)元服式に細かく記されています。
平安時代から結われていた冠下の髻ですが、時代とともに変化します。もともとかなり複雑な結い方でしたが、室町時代以降、さらに細かくなります。元結に使う紐は、将軍家は赤色、堂上家は紫色、庶民は白、など身分によって使い分けられます。また巻き方も複雑になり、慶事は奇数の巻数、弔事は偶数といった具合に細かく規定されます(『貞丈雑記』より)。

一般に冠下の髻といわれる、この髻ですが、平安時代の呼び方は不明です。「冠下の髻」は後年の呼び方で、これ以外にも「巻髻」、「立髻」などと呼ぶこともあります。
冠下の髻/冠の巾子に収めた、文字通り冠の下の髻
立髻/百会あたりにとった髻をほぼ直上にまっすぐ立てた髻
巻髻/元結を13巻ほど、ぐるぐると巻いた髻
いづれも、髻の状態や特徴をとらえて命名したようです。

平安時代にはなんと呼んでいたかは、いまのところ不明ですが、新たな史料が発見されれば名称はそれに落ち着くでしょう。

丘圭・著