烏帽子下の髻

平安時代から殿上人の貴人も下々の庶民も烏帽子、冠を装着するのが習わしでした。露頂になるのは男性にとって恥とされ、その風俗は戦国時代末期まで600年以上続きました。江戸時代の月代、丁髷姿が男性風俗になりましたが、烏帽子、冠の歴史ははるかに長い。

露頂で過ごていたのは、ザンギリにしていた非人や極めて身分の低い人、坊主頭の僧侶ぐらいです。庶民、武士、貴族は髻にして烏帽子を被っていました。

 

ところが、冠や烏帽子を被っていない男性の姿を描いた絵画史料がいくつか残っています。
その一つが『石山寺縁起絵巻』に見られます(上・国立国会図書館デジタルコレクションより)。

絵は、石山寺が寺領内での殺生を禁止することを朝廷に願い出たことをテーマにして描いたとされています。永延年間(987-988)のころです。

ここに描かれている、坊主頭の僧侶から追われた男性は烏帽子を被っていません。烏帽子下の髻という姿です。魚とりの殺生をしていて追われたのがわかります。労働をするときは烏帽子を被らなかったのかもしれません。

『石山寺縁起絵巻』は、本文は正中年間(1324~1326)に成立し、絵はその後に描かれました。掲載した絵は巻2第7段のもので、15世紀ごろ描かれたようです。400年ほどむかしの風俗が正確に伝わることはありません。絵師が身近な風俗を参考にして描いた可能性が高い。

絵が描かれた室町時代には、露頂姿が散見されたのかもしれません。この絵のほかにも以前、男女の褥を描いた絵で露頂姿の貴人を紹介しましたが、これも室町時代でした。

戦国時代末期に烏帽子姿から一気に露頂になったといわれていますが、実際のところは室町時代から烏帽子を着けたり外したりと徐々に時間をかけて、烏帽子を被らない男性が増えていった可能性が否定できません。

丘圭・著