出床

床屋の語源は、床見世からきているのだろう。床を張っただけの簡単なもので、そこに客を座らせ月代を剃り、髷を結った。

戦国時代末期の京都・戻橋、江戸初期の江戸・赤羽根橋のたもとや川沿いに床を張って、仕事をしたのが床屋の始まりといわれています。床見世は一種の仮店ですが、このような形態で商売を始めたのは、床屋が最初だったのかもしれません。

享保の改革の一つとして床屋の株仲間が認められたころには、店を構えて営業する「内床」のほかに、道具を持って得意先に出向いて仕事をする「回り床屋」、そして「出床」といわれる、前術の仮店で仕事をする三つの形態がありました。

江戸時代、床見世は大きな橋のたもと、いわゆる橋詰といわれる空き地、船の荷降ろしを行う河岸の空き地、堀端、そして広い火除け地、土手などに建てられています。これらの床見世は簡便な造りながら柱を立てたもので、仕事を終えたあとは戸締まりをし、翌日開けるというものです。火災が発生したときは簡単に破壊、撤去できる構造になっていました。

喜田川守貞さんの『近世風俗志』によると、床見世は上方に比べると江戸にとくに多くあったといいます。また、床見世には造りによって4種類あると同著で指摘しています。一つは前述のもので、これが一番しっかりした造りです。常設の床見世で、「建床」といいます。

次にしっかりした造りなのは、板塀や木戸に簡便な屋根を取り付け、仕事をするときは屋根を上げて、仕事が終わると屋根を下げるという構造の床見世で、これを「掛け床見世」といったそうです。

あとは床を設えただけの屋根も柱もない作りの床見世です。これを「たたみ床見世」というそうです。
そして、もう一つがいまの屋台です。商売人が担いだり、車で引いて移動して仕事をします。これは「はこび床見世」といいます。

「はこび床見世」は飲食関係の仕事に多く使われていますが、床屋の仕事とは関係なさそうです。これ以外の「建床」「掛け床見世」「たたみ床見世」では、床屋の仕事が行われていました。

さらに床を張らないで床屋の仕事も行われていました。回り床屋は鬢盥を持参して得意先を回りますが、鬢盥は砥石などを含めて商売道具を収めていて、かなり大きい。客を鬢盥に座らせて仕事をすることは可能で、そんな状況を描いた絵画史料に残されています。

一口に床屋の「出床」といっても、多様な形態があったのが江戸時代です。

丘圭・著