髪結床に駆け付け役

亨保の改革で髪結株仲間の組合が認められ、髪結床に駆け付け役が課せられます。江戸は火事が頻発しました。そんな災害時に役所の書類を持ち出す役目が駆け付け役です。

亨保の改革は、第8代将軍・吉宗によって物価の抑制などさまざまな改革が行われましたが、政治や経済の大改革ではないものの、法令の整備や公文書の管理もすすめられました。

吉宗の命により法令整備では、『御触書寛保集成』が寛保4年に完成し、以後『御触書宝暦集成』『御触書天明集成』などに受け継がれます。
公文書管理では仕掛り中の書面と、解決した書面に分けることにしました。それまではすべての書面を月奉行に引き渡していたのですが、これでは文書管理がたいへんなので、仕掛り書面のみを引き継ぎ、解決した書面は所定の場所に保管するように変更したのです。

公文書は公儀の政策を決める上で重要です。公文書の管理が確立されたのに合わせて1町に1軒ある髪結床に駆け付け役が任されたのです。

南北の町奉行所は役所が決まっているので、近隣の髪結床が駆け付け、寺社奉行は奉行になった大名クラスの奉行の役宅の近くの髪結床が駆け付けたのでしょう。3家ある町年寄の役宅も同様です。町名主の役宅に駆け付けたかもしれません。

髪結床の駆け付け役に関すると思われる触れをいくつか紹介すると、
享保8(1723)年12月30日、髪結町奉行所防火(『享保撰要類集』、『承寛襍録』)
享保20(1735)年2月3日、髪結両番所駆付制(『諸問屋再興調』)
安永6(1777)年9月26日、髪結仲間町年寄役所出火駆付制(同)
などがあります。

髪結床の駆け付け役、重要な文書を災害時に持ち出して保存する、という公儀の根幹にかかわる重要な仕事といえます。

もちろん、この駆け付け役は江戸の町方の髪結床の役目です。京・大坂の上方や大大名の城下町では、また違った役目を仰せつかっていたものと思われます。

丘圭・著