忍髪結 禁止町触

忍は、『広辞苑』によると、「こらえること」「ひそかにすること」などいくつか紹介されています。髪結関係では忍髷、忍元結があります。前者は「しのぶ」で、後者は「しのび」と発音します。忍元結は、元結の紐を隠して結います。

忍と髪の関係では、「忍髪結禁止町触」という町触れがあります。おそらく「しのび」と発音するのでしょう。この触れが出されたのは寛政5年(1793)です。隠れて髪結の仕事をする女髪結を禁止した触れです。(福田文庫忍髪結御差留御願書并返答書/大坂市立大学附属図書館所蔵)

上方に遅れて、江戸では18世紀なかごろに女髪結が仕事をするようになりました。最初は、遊女や茶屋女を相手に髪を結っていましたが、18世紀後半になると地女にも結うほどに広まります。女髪結の活躍ぶりが目立ちすぎたのでしょう、この触れは、隠れて女髪結の仕事をしてはいけません、という内容です。

江戸の三大改革は、いづれの改革も庶民の奢侈を禁止します。この触れが出されたときの寛政の改革も同様です。女性は、自分で自分の髪を結うのが習いとされてきましたが、18世紀後半になると女髪結の手に委ねる女性が目立つようになったのだと思われます。その背景には、人気の髪型は小道具類を多様しなければできず、セルフでできる領域を超えていたからです。
遊女や茶屋女だけを相手にしていたら、このような町触れは出されなかったと思われます。

この触れから2年後、「女髪結差止説諭」(御触書天保集成)の触れが出されます。この触れでは、地女に対し自らの手で結うことを求めるとともに、女髪結に対しては髪結の仕事を止めて、仕立て屋や洗濯の仕事などに転業するよう勧めています。

女髪結はいっときは姿を消すのですが、寛政の改革が頓挫すると復活し、それまで以上に繁盛します。後年の天保の改革で再び禁止されますが、このときは実際に追補される事態になります。しかし天保の改革が終われば、また再び復活し、明治を迎えます。

18世紀後半には、女髪結は女性にとって必要な職業になっていたのです。

丘圭・著