髪結妻 月代剃厳禁

髪結床は、男の仕事でした。維新後、西洋理髪の時代になってもそれは変わりません。明治後期に女理髪師が誕生しますが、女性であることで話題になるくらい珍しい存在でした。

ところが「髪結妻月代剃厳禁」という町触れがあります(旧幕引継書/国立国会図書館)。寛政11年(1799)5月29日に出された触れです。「髪結床の妻が客の月代を剃るのを厳禁します」という内容です。こんな触れが出されるくらいですから、当時、髪結床の妻による月代剃りが横行していたのがうかがえます。髪結床は男の仕事のはずでしたが、そうでもなかったのかもしれません。

内床は、見習いの丁稚、中床、そして床屋の3人で仕事を分担して客にあたるのが普通でした。これを三人立ちといいます。出床(辻床)や回り床は、一人ですべての仕事をしていましたし、内床でも中床、丁稚の人数によって、いろいろな形態で仕事が行われていたはずです。

月代剃りは、主に中床が行う仕事です。この仕事を自分のカミさんに任せていた髪結床が少なからずいたようです。月代剃りは、武家も含め庶民の家なら、妻が夫や男子の月代をあたり、男の子なら中剃りをしていました。その習慣から髪結床のカミさんが客の月代を剃ったのかもしれません。

中床が休んでしまったか、辞めて不在なのか。または中床の腕が上がって髷を結う仕上げの仕事を任せられるようになり、その穴をカミさんに託したのかもしれません。理由はいろいろ想定できますが、公儀には髪結床のカミさんによる月代剃りが目に余ったようです。素人仕事なので、切り傷などの事故が頻発したのかもしれません。

江戸時代は身分制の社会です。男女の性差による違いも重要です。女性が髪結床の番屋に入ることを、そもそも問題視したのかもしれません。

女性が理容の仕事に大量に進出するのは、太平洋戦争が契機になります。兵役年齢の男子の就業禁止職に理髪業が指定されて以降、速習の理容学校で技術を学び、出征した男性理髪師に代わり仕事をしました。いまでは4対6ぐらいで、やや男性が多い程度です。

丘圭・著

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