藩によって違う 髪結床事情

前回の『髪結床の組合仲間・考』は、江戸での話です。同じ幕領でも京、大坂はまた違った形で髪結床は稼業をしていたはずです。

町の成り立ちや風土、民情も違います。
京は江戸よりはるかに長い歴史があります。平安のむかしから町、保、坊の町割りがあり、一坊は16町が基本です。正徳5年(1715)には、洛中1615町、洛外町続町228町、合わせて1834町あったといいます(『京都御役所向大概覚書』)。この町に約35万人の町人が住んでいました。

大坂は、江戸に似ていますが、江戸の町年寄りが大坂では惣年寄り、江戸の名主が町年寄りと呼ばれていたりします。その構成人数も違います。

そもそも「髪結株一町一株」(万治元年/1658))にしても、寛永17年(1640)の「髪結職鑑札」にしても、江戸の町触れで江戸だけの話です。亨保の改革で認められた髪結の組合仲間も江戸の話です。

この組合仲間に関しては、幕領以外にも同時期に「一銭職由来書」に類する史料が残されていることから、各地で髪結床の組合仲間の結成がなされたものと思われます。江戸の町のごとが各地に波及した一例で、江戸の町は、一つの範として存在していたようです。しかしかといって、すべてのことが江戸に倣うことはありえません。

江戸時代は、民生においては、藩次第、幕領も町奉行次第でした。

ところで、髪結床が最初に現れたとされる京は、町人らによる長い歴史があるだけに、髪結床の組合仲間についても、強い同業者意識、絆があったようです。江戸時代の京の髪結床関する史料は入手していませんが、明治以降、京都の理髪の組合は主に料金協定になりますが、活発な活動をしています。
1000年の都、京都といいますが、その間には幾多の戦乱に見舞われ、在住の町人たちは、独特の自治意識があったのが伺える、明治時代の京都の理髪組合です。

丘圭・著

髪結床の組合仲間・考

髪結床の組合仲間・考