月代から断髪にする手順

明治4年に出された「断髪令」、月代姿の江戸人はどういう手順でザンギリにしたのでしょうか? このことをテーマにした一文が2020年9月9日付けの『読売新聞』に掲載されていました。

歴史家の磯田道史さんが、子供からの質問として紹介しています。
普通に考えれば、月代部分の髪が伸びて、立髪状態になってから元結を切って、ザンギリにするのが一番ありそうです。

①髪を全部剃り落としてから伸ばした②月代部分を伸ばしてから髷を切った③いきなり髷を切って落ち武者姿になった、という子供の仮定の回答に対し、磯田さんは「②が多かったかもしれない」と答えたそうです。

さらに磯田さんは、明治5年10月15日付『京都新報』に掲載された断髪推進派の投書を紹介しています。
断髪推進派は、第一等として「髪を全部剃る」(①と同じ)、第二等は「月代を伸ばしてから切る」(②と同じ)、第三等「髷を切る準備をしている人」、第四等は記載なし。第五等「若い人の黒々とした髷を切ってなでつけた」(これは③と思われます)、そして第六等「わずかに髻の結び目を切って後ろに‥‥」(これは茶筅髷の状態にして、月代部分の髪が伸びるのを待っていたでしょう)。断髪推進派は、それぞれの等について評価していて、当然等が下がれば評価も下がります。
当時まだ髷姿の男性は多くいて、断髪推進派は髷姿は等外としています。

結局のところ、月代をした江戸人がどういうふうにザンギリにしたのかは不明で、いまとなっては想像するしかありません。

風俗はゆるゆると時間をかけて変遷するものです。一気に変えさせようとしても、強力に強制しないかぎり無理な話です。断髪令と時をほぼ同じくして、お歯黒禁止、帯刀禁止などが出されますが、即刻、止めたわけではありません。大半の男性がザンギリになったのは明治20ごろになってからです。お歯黒の風習もそのころにはなくなったようです。
二本差しの刀は、明治9年の廃刀令で、日本刀の所有が禁止されています。

清朝が漢民族に対し辮髪を強要したときのように、髪を切るか、首を斬るかと迫れば話は別でしょうが、長年親しんだ風俗、風習というものは、そう簡単には変えられるものではありません。

丘圭・著