断髪女子に賛否両論

断髪令に関して断髪推進波の投書を掲載した『京都新報』(明治5年10月15日付)を、歴史家の磯田道史さんが読売新聞で紹介していましたが、髷に愛着を持っている断髪反対派もいたはずです。

明治維新で洋風化を進める政府は熱心に断髪を推進しますが、なかには異を唱える者もいて、当初は反対派が多数だったと思います。当時のメディアを探せば、「断髪反対、丁髷に固執すべし」といった論調の記事がみつかるかもしれません。

断髪令に触発されて、断髪した女子もいました。当時のメディアに取り上げたくらいですから断髪女性は相当数いたようです。断髪女性については、反対派と容認支持派の論調があり、賛否両論だったのがわかってます。

反対派の論調で目につくのが、男装する女性は古から遊女の風体だとする主張で、平安王朝時代の白拍子や遊女歌舞伎などの例をあげています。男装女性=売春婦と断じています。実際、断髪の売春婦がいたといいます。

容認推進派は、洋風化を進める国の方針を踏まえ、女性の髪型も巻き髪や洋風のアップスタイルにして、旧習の日本髪から脱するべき、というものです。

政府の方針からすると、容認推進派に利がありそうですが、翌年には軽犯罪法レベルですが、女子の断髪を禁止しています。これは東京市で出されたものですが、全国に敷衍し、女性の断髪は見送られます。すでに全盛期だった日本髪は明治になって、女髪結が公に認められたこともあり、ますます盛んになります。

丘圭・著