髪結組合から理髪組合へ

明治4年の断髪令で丁髷からザンギリへと男性の髪型風俗は大きく変わりました。明治維新の象徴のひとつとされています。

髪型が変るとともに、技術者も髪結床から西洋理髪師へと変わりました。断髪令で、この仕事のすべてが変わったのでしょうか?
そんなことはありません。
江戸時代からの組合仲間と徒弟制度の因習は明治になっても、そのまま引き継がれました。

髪結床の組合仲間は亨保の改革で認められ、天保の改革で解散させられます。組合仲間は町名主を通じて奉行所に上納金を収めるかわりに新規参入者を規制し独占的な営業が認められていました。
天保の改革で組合仲間は解散しますが、幕末には再び結成します。しかし、再結成のときはすでの多くの髪結床が営業をしていて独占営業権は失われた状態での結成でした。

そして明治維新。徳川幕府から明治政府へと体制が変わります。
江戸時代は町奉行に所管されていた髪結床ですが、明治維新後は警視庁の所管になります。
明治維新後すぐに警視庁が誕生したわけではなく、明治7年に創設された内務省のひとつの部門として警視庁が誕生します。翌年に制定された行政警察規則で、行政警察として機能するようになってから、理髪業や浴場業、飲食業など人々の生活に密着した多くの職業を所管します。明治8年には東京府(警視庁)から理髪営業の鑑札が発行されています。

天保の改革で組合仲間は解散した髪結床でしたが、その後も組合という名称は使わずに仕事の寄合仲間をつくっていた地域もあり、地域内で髪結床の新規開業阻止や料金の協定などを行ったいたところもあります。明治7年には当時の熊谷県が、髪結業者のよそ者排斥、料金協定などを禁止していることから、髪結業者の地域団体が独占的な営業をしていたのがうかがえます。

明治8年に行政警察が誕生すると、仲間組織の地域割りは警察署単位へと徐々に移行していきます。
ザンギリ頭をする男性が増えるとともに髪結は減り、警察署単位の理髪業の組合が徐々に増えていきます。さらに、明治12年には維新後に公許された日本髪を結う女髪結の組合結成が東京府に陳情されています。目的は組合未加入の女髪結の取締り(締出し)です。

以上の話は、江戸・東京の話です。警視庁も正式名称は東京警視庁です。自治意識の強い京都はまた違った動向だったかもししれません。

警察署単位の同業組合組織(支部)でしたが、明治30年代ごろから広域的な連合会や自治体単位の連合会への組織化の動き活発になり、大正期になると全国組織化へと拡大していきます。そんな組合は公的な試験制度の導入を求め続けてきました。理髪師の技能向上の目的がありますが、背景には業界への新規参入者の抑制があったのは見え隠れします。

徒弟制度については、またの機会に。

丘圭・著