前口上

歴史というと政治史や事件史が中心になります。
政治史や事件史は、史料も豊富にありますが、それでも史料が新たに発見されて、いままでの歴史が変わったりします。たとえば、中世史を研究されている網野善彦さんの著作を読むと、日本史の教科書に載っている日本の歴史とは、また違った日本の歴史が浮かび上がってきます。
学問のなかでも歴史は、新しい史料の出現によって、以前の定説が変わる可能性が極めて高い学問のようです。

「髪結ネット」では日本人の髪にまつわる歴史的なお話しを紹介します。
日々の生活に密着したテーマですが、文献に残る史料は、政治史や事件史に比べると、微々たるものしかありません。
「近代風俗志」(通称、守貞謾稿。喜多川守貞)、「嬉遊笑覧」(喜多村信節)に髪形や床屋、髪結のことが触れられています。両書とも江戸時代後期の著作で、百科事典的な内容です。前者は江戸、大坂、京都の三都、後者は主に江戸の事情を解説しています。

世に多くある江戸時代の解説本は、この両書を引いて、江戸風俗として髪結職や日本髪、あるいは髷のことを紹介しているようです。

両書が書かれた江戸時代後期のことはほぼ正しいでしょうが、江戸時代前期、さらにそれ以前のこととなると、はたしてそのまま信じていいのか検証が必要です。「近代風俗志」は天保8年(1837年)に起稿されていますが、江戸時代初期の話となると200年もむかしになります。
100年、200年前の風俗を正確に覚えている人はまずいないでしょう。

理美容業、髪結職の祖とされる、鎌倉時代の采女亮政之は、「壱銭職由緒之事」によるものです。この「壱銭職由緒之事」は享保の時代に書かれたもので、采女亮政之の話は400年以上もむかしのことになります。
南北朝から室町時代にかけて、国内は大きな断絶があることや、鎌倉時代の頭髪風俗、また北面の武士という位階などを考えると、この説を信ずることはとてもできません。
歴史的な信憑性は疑問ですが、理美容業の祖として祀る、その精神は大切なことです。

髪結、日本髪に関しては、絵画も有力な史料になります。
屏風絵や浮世絵には多くの人が描かれており、髪形風俗も描写されています。描かれた年代がわかっている作品が多いので、髪形の年代も特定しやすいです。
ただ、絵画に関してはデフォルメ(とくに浮世絵はデフォルメされています)されているのと、年代を判定するのに主に建造物などを手がかりにするのですが、作品の中には再現表現という手法もあるので、注意が必要です。

幕末時代になると来日した外国人が日本の風俗を描いています。彼らの描写は細密でより実際に近いと思われます。しかしなんといっても幕末に伝わった写真術です。写真は視覚史料として信頼できます。

「髪結ネット」では、これら文献資料と絵画史料のほかに、この時代を生きた人が残した日記、また日本を訪れた外国人のレポートや日記などにも目を通して、髪結に関する記述を紹介したいと思います。日記は、書いた人のフィルターを通してになりますが、生の記録だけに、より事実に近いものと思われるからです。

幕末に日本を訪れた英国人の青年外交官、アーネスト・サトウの日記(回想録)を読むと、孝明天皇の暗殺、毒殺の報がリアルタイムに書かれていて、この書籍が戦前まで発禁だったのがわかります。孝明天皇の死因は病死とされていますが、もし毒殺だったとしたら、明治維新の革命もまた別の姿になりそうです。

余談はともかく、いまの日本では、完全に過去の遺物となってしまった髪結ですが、日本の伝統風俗、伝統文化の一つとして、「髪結ネット」を通して、紹介したいと思います。

2016年12月
著者・謹啓
丘圭

*前口上は、「髪結ネット」が開設された2015年6月に書きましたが、今回全面的に書き改めました。